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ソウルメイトとの音楽遍歴⑮

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  97年になるとウェラーの他に良く名前が出ていたのは ジーラブアンドスペシャルソース 。ブルースとフォークとヒップホップを混ぜた今までにないオルタナティブなのに3ピースというシンプルなバンド。これは渋谷のライブに行くほどの熱の入れようだった。当時のキミがやりたい?マネしたい?わからないけど、ポールウェラーよりもミーハーなリアクションをしていた印象がある。 Casualsのアルバムにもジーラブのオマージュ曲がある。オマージュした原曲は This Ain't Living でキミの曲名はSo In Love。あれ?ALLのLiveでも同じ曲名がありますねぇ。…けど曲は全く違います。この So in loveという曲名はフリーソウルの元祖的存在、カーティスメイフィールドの名曲 、これはキミの大好きな曲でよく聴いていたね。ジーラブを好きになったころからシンプルなリフを繰り返してグルーブに重きを置く「大人な」感じになっていった。 ジーラブを教えてもらってほどなく新譜が出た「 Yeah,it’s that easy 」だ。そして是非ベースの参考にしてほしいと言われたのがこのアルバムの Pull The Wool という曲の3:18あたりからはじまるCメロ、あ~これ聞くとキミとベースを弾いた日が走馬灯のようによみがえる。これを書くにあたって実に数年ぶりに聴いた(あ~音楽は聴いていたのに、どうしてこの曲が久しぶりなのか・・・)。ボクのこのアルバムの一押しはベタですが Stepping Stones 、キミはジーラブのビートルズバージョンって言ってた。 とにかくこのジーラブについてはドラムンベースを絶賛していて、二人のお気に入りはキミの好きなドラムのハウスマンが歌う Kick Drum 。この曲が入っている アルバムはこれ 1999年にリリースされた。このアルバム Redeo Clowns というジャックジョンソンとのコラボの名曲が出てくるね。 ジーラブがらみのエピソードは、渡英した後4年ぐらいして再会したとき、webで公開されていたライブの様子を写した動画を見てジーラブが英語で冗談を言っているのを見てケラケラキミが笑っていたのに英語が分からないボクは物凄く驚いた。 また5年前ぐらいにあったときに ノラジョーンズ 、 ジャックジョンソン はえ~な~って神戸の居酒屋でしんみり

ソウルメイトとの音楽遍歴⑭

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 前回振り返ったポールウェラーをきっかけにしてボクはR&B、ソウル、モッズに傾倒していった。その時はあまり気にしていなかったけど、小西康陽などの渋谷系と言われるトレンドもあってレコード屋さんに行けば沢山のレコメンドがあった。レコード屋さんのスタッフのイチオシは昔のものから現在進行形まで様々。なかでもアシッドジャズの代表格、 コーデュロイ はボクの心をくすぐるものだった。これももちろんキミに教えてもらった。アシッドジャズといえば当時は ジャミロクワイ が最高峰、もちろんジャミロクワイも聞いたけど、コーデュロイがボクの中では1番。 最初は 1stアルバムdat man cat を聞かされてinstrumentalだったので戸惑った覚えがある。なぜなら歌モノばかり聞いてきたから。しかし このアルバム からキャッチ―なメロディーの歌がでてきてアルバムタイトルの曲は Out of here にはまったね。今でも大好き。車通勤中に聴きまくったのは 次のアルバム 。ボクのコーデュロイNo1の evolver が入っているんだ。これは忘れられない曲。 コーデュロイも含めてボクの中ではオルガンサウンド≒モッズ、ブリット、大好きなサウンド、となっていったのです。完全な偏見です。 たとえばこの シェリルクロウ の my favorite mystake ( このライブ映像は最高のメンバー )の間奏のオルガンはボクにとってはモッズにしか聞こえない。 いくつかあげてみよう。 前回のポールウェラーからは Broken stones 教えてもらって印象深かったジョージフェイムの sunny ブッカーT&The MG'sの Mrs.Robinson ブルースブラザーズからはレイチャールズが壊れたオルガンで演る shake your tailfeathers 大御所が出たのでアレサフランクリンがスティーブンスティルスをカバーした Love the one you're with 忘れちゃいけないスティービーワンダーの Don't You Worry 'Bout A Thing 、良い時代だ、こんな映像をみられるなんて! staxレーベルからはナイチンゲールズの Don't Let A Thing Go モッズにかかせないスモールフェイセズの A

ソウルメイトとの音楽遍歴⑬

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ボクが知っているキミの音楽に欠かせない存在は ポールウェ ラー 。95年から99年にかけての5年間、キミに大きな影響を与えたキーパーソンだと考えている。 初めて教えてもらったのは、大ヒットした3枚目のソロアルバム「 Stanley Road 」のリリースしたころ。キミは流行るよりも前から聞いていたようだけど、ボクに教えてくれたのは流行った頃で、その勢いに乗る感じでバンドでもコピーしよう!となった。しかし、キミらしい拘りというか、コピーした曲はアルバムには収録されていなかった You Do Something To Me というシングルカットの曲のB面のカバーソング My whole world is falling down というマニアックな曲。 元はWilliam Bellという人の曲。ボクはキミに教えてもらうとすぐに原曲をあたりたくなる癖があって、 William Bellのベスト盤のCDを買って原曲 にあたった。ポールウェラーバージョンのほうが好きだったけど、そのアルバムで「アタリ」を見つける。William Bell & Judy Clayの My baby specializes 。さっそくキミに「ええ曲があった♡」と話すとキミはすかさず「それよりもこっちのほうがええで!」って Delaney & Bonnieのカバーバージョン を教えてくれた。 その頃かな「レコードレーベルで見分けるとブラックミュージックはおもろいで」と教えてくれたのは。これは Staxレコード つながりで、Delaney & Bonnieはクラプトンやブッカー・T&ザ・MG'sなどと縁が深い。とりわけボクはベースだったのでドナルドダックダンのベースラインが大好きになって今度は ブッカーは・T&ザ・MG'sのアルバム を買ったりした。 おっと、今回の話題はポールウェラーだったね。 ボクは3枚目→2枚目→1枚目と聞き込んでいった。ボクのお気に入りは前述の「Stanley Road」からは「 Whirlpools' End 」ベースラインが大好きでコピーしたなぁ。それよりも大好きだったのは2枚目の「 Wild Wood 」のLive版「 Live Wood 」での「 Has My Fire Really Gone Out? 」

ソウルメイトとの音楽遍歴⑫

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  キミにはバンドのアプローチとソロのアプローチの二通りの音楽があったと思う。前者は時代および時流にそったアプローチ、キミのPOPセンスを表に出すアプローチで、後者はキミの好みで時代とは無関係でキミの内面性を反映していたと思う。キミはソロプロジェクトとして「自画自慰」という、 タイトルからして「俺の好みのみ」という弾き語りアルバムをつくった。このテープはトラックダウン前のテープしか今のところ見つかっていないのだが、ジャンル的にはブルース、フォークの要素が強かった。 これは現在進行形の taquibe につながっていたのかも、、、と思う。そんなキミのソロ志向につながりそうなのが、 トムウェイツ だったと推測する。 Martha を最初に聞かせてくれて、ボクは Closing Time とEarly Yearsというアルバムを購入した。 特に印象に残ったのは Ol'55 でのちに イーグルスのバージョン も聞いた。そしてなんといっても Little trip to heaven キミの妹とのコラボは良かったね。 四半世紀前のことなんだけど先月みたいな感覚だよ、トムウェイツを聴くとね。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑪

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ラバーソウルの次のアルバムといえばリボルバー。 ビートルズが世に広めたシタールの楽曲などが出てくるかなりチャレンジングなアルバムだ。 ボクらにとってなぜ重要か、それはthe casualsの代表曲Love Is Everywhereのモチーフとなった HERE,THERE AND EVERYWHERE があるからだ。キミは「めっちゃソウルしてる!」と絶賛していたね。ボクは自分の結婚式で妻と披露宴の入場曲に使ったぐらい、大事な曲だ。ボクのベストオブビートルズ。 よくよく考えると、キミがLove Is Everywhereを作曲したのは1994年でそのあとビートルズはアンソロジーという3枚作を世に出し、25年ぶりに新譜をリリースするというような時代だった。そう、このアンソロジーで色々な曲の別takeが世に出てインスパイアされまくる、そしてその対象がリボルバーだ。99年にthe casualsはミニアルバム をつくるのだが、1曲目にTodayという曲があって、その曲の一部はリボルバーの Taxman の アンソロジーバージョン をモチーフにしている。 ボクらは一般的に絶賛されたシタールの楽曲はあまり見向きもしなかったな。キミといつも笑って聞いたのは GOT TO GET YOU INTO MY LIFE 「このドラムは最高や!」ってな感じで。 そしてカバーはしなかったけど、 アンソロジーの別バージョン が光る AND YOUR BIRD CAN SING は個人的にこのアルバムNo1。 お次はボクのエナジーソング GOOD DAY SUNSHINE この曲は今でもスイッチがはいる。 このアルバムに YELLOW SUBMARINE というリンゴが歌う曲があるが、のちに、アニメ映画『イエロー・サブマリン』のサウンドトラック・アルバムのタイトルにもなるね、キミが渡英する1999年にリマスター版がリリースされて話題になった。 ビートルズについてはこれを最後にするけどビートルズで外せないのは LADY MADONNA 。これは In my life に続くぐらいカバーしているね。 それと ANY TIME AT ALL 。あまり歌が上手くないボクがライブで上手くハモれた曲。キミが初めて渡英したとき、エアメールをくれた。 何かイギリスでインスパイアされたのだろうか?今度会ったら教え

ソウルメイトとの音楽遍歴⑩

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  キミと切っても離せない話はみんなのアイドルことビートルズだ。ボクもキミもポールのポップさとベースラインは大好物。 特に2人の推しのアルバムはラバーソウル。ボクらのバンド、the casualsは二枚アルバムを作ったのだが、一枚目はラバーソウル仕様になっているのだ。 ラバーソウルは ジョージマーティンによってステレオ・アルバムをモノラル・プレーヤーにかけた時に良い音が出るような方法として4トラックのマスターをヴォーカルを右に、楽器を左に、中央には何も置かない状態でステレオにミックス・ダウンが行ったらしい。この辺り蘊蓄は レコードコレクターズ を2人で読み漁っていて得たもの。 それをビートルズっぽいというノリでただ単純に右と左にパートを振り分けるという感じで模倣した。MTRでね。 やはりキミは60年代の影響を強く受けて、バンド名もラスカルズ、アニマルズ、ビートルズ…The Casualsにしたように記憶している。上手く言えないけど好きだったんだね。 ラバーソウルでもっとも大事な曲は In my life 。90年代のキミは1番カバーしたんじゃない?ベース一本で演ったり、キミの妹のピアノに合わせたり。 そしてなんと言っても The word 。これは2人だけ超黒っぽいって盛り上がってね。コピーしたけど上手くいかなくてやめた気がする。 ライブで演った曲はロックな Drive my car bassラインはヨダレが出るね。 ラバーソウルの最後は Nowhere man ,キミが新しい曲出来たと言って聴かせてくれた後に、キミは自分で「あ、Nowhere manと同じ😅」という出来事があったぐらい影響を受けたんだね。 ボクらの大好物このアルバムは全編おいしい。もう一枚の大好物はラバーソウルの次のアルバムだ。それについては次回にします。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑨

引き続き94~95年ごろの話。 これまでピックアップした60年代ブリティッシュロックに始まり、ボクらが生まれる70年代前半のバンドサウンドも沢山教えてもらった。中でも デーブクラークファイブ は同名の曲を何曲かつくるほどキミは影響をうけていたね。代表的なのは Here comes summer 。 キミの曲のデモテープを久々に聴いたけどコーラスが沢山あって良かったなぁ。 あとは Come home 、キミの曲はComin' home❤️ ボクが好きだったのはDC5のオリジナルではないけど Everybody get together 。この曲は当時ヒットした 映画フォレスト・ガンプ では最初にヒットした ヤングブラッズバージョン が流れていた。当時好きだった女の子とのデートで見たのでよく覚えている。その子と成就することはなかったけど。 ほかには クリーデンスクリアウォーターリバイバル も聞いていた。 ハノイロックス の Up around the bendの原曲 はCCRだし、 Down on the corner はライブでもカバーしたことがあったね。 ボクのお気に入りは Have you ever seen the rain? これは今でも良くCMなどで使われるね。 ロッドスチュワートのバージョン も素敵だ。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑧

  少し時を進めて94〜95年、東京でバンド活動を始めた1994年、オアシスというバンドがイギリスで脚光を浴び、日本でも話題になり始めていた。「オエイシスは君が好きそうなバンドやで」といって紹介されたのが有名な whatever のシングルCDだった。でも2人で聴いたのはB面の half the world away 。この曲が好きになって1995年にボクが渡英したときに飛行機で聴いていた。円高ボンド安だった当時勢いでロンドンのHMVでビートルズ とともにオエイシスの Definitely Maybe 、 some might say のシングルを買った。オエイシスのCDは売却したけどビートルズは棺桶まで持っていく。 オエイシス自体はキミは好きではなかったけど、それは多分バンドとして好きではなかったのではないかな。 この曲 はバンド形式ではなくギターとベースの2本だけでライブをしたよね。 そしてオススメされたのもノエルのアコースティック系だった。 キミとのビートルズ談義の追憶はまたの機会にしよう。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑦

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  引き続き1994年にもらったプレイリストを参照してみる。 マークが入っている ロッドスチュアート や リッキーリージョーンズ はキミのお気に入りだったな。 ニールヤング は触れたので割愛するとして、ボクにインパクトを与えたのはホリーズの Look Through Any Window だ。グラハムナッシュの声を初めて聞いた。キミのおすすめではないけどホリーズの Listen To Me が好きだった。 グラハムナッシュといえばキミとクロスビースティルスアンドナッシュ(以下CS&N)のライブを見に行ったね。彼は裸足でステージに立っていた。周りにはアルフィーや南こうせつなどが居て、世代の違いを感じた思い出がある。CS&Nといえばニールヤングもいたときの Our House がNo1だけど、ボクのお気に入りは こちら だった

ソウルメイトとの音楽遍歴⑥

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未だ時代は1994年、お互い弱冠二十歳のころ。まだ選曲はバンドでの参考的な意味合いが強いものの、キミの個人的嗜好が垣間見れる。 最初に BLIND WILLIW Mc'TELL "Southern Can Is Mine" と Blind Boy Fuller"Truckin' My Blues Away" がセットされている。ポップなブルースでTrucin' My Blues awayは1995年にバンドとは別でボクと二人でアコースティックライブをしたときにソロで歌っていたね。 この辺のブルースをルーツにした楽曲もしていて自分のソロワークを自作していたね。もちろん一部ベースを頼まれたけど、そのテープの元となったMTRテープはあるけど、完成版が今のところ見つかっていない。。。 30年代のブルースと60年代~70年代前半に集中している。当時の流行りとは一線を画している。イーグルスとニールヤングが年代的には新しく Peter & Gordon 、 バーズ 、ヤングラスカルズを選んでいる。とくにバーズやラスカルズは二人で何度も聞いて曲作りの参考にしたりしていた。ラスカルズは僕は Good Lovin’ 推しでキミはこの Groovin ’が大好きだったね。 A place in the sun はやっぱり原曲の スティービーワンダーバージョン のほうがよく聞いていたよね。 この曲は二人とも大好きでキミはこれをモチーフにした「優雅な死に場所」という曲をつくり、ボクはワンダーの曲を妻との結婚式で使ったりしたことからも好きさ度合いがわかるね。 追伸:ワンダーつながりで My Cherie Amour はこゆきちゃんとゆかちゃんと1日だけ練習してライブした曲だけど、ジェームスジェマーソンのベースのようには弾けなかった(アタリマエか・・・)。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑤

  キミに全く影響を受けずに(教えてもらうことなく)、好きになったバンドがある。 それは レッチリ 。 1994年の2月、3回目の大学受験の最中に車のディーラーに勤めていた従姉妹から勤め先で流しているBGMのCDを借りた。 そのなかに この曲 が入っていた。 1994年の11月にはボクのわがままをきいてもらってライブでキミに歌ってもらった。 今日そのカセットテープをみつけて、キミの適当英語に久々に笑った。

ソウルメイトとの音楽遍歴④

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時代の流れは前後するけど、1994年の7月に東京で初めてライブをした。 そのときに クラプトンのLet it Rain をカバーした。大サビのベースを弾くのが大変だった。。。めっちゃ左手を開いて吊りそうになってた。 1992年の浪人の時は森君が1番詳しいと思うけど、みんなで作ったアルバムのタイトルは Days that used to be でこれは ニールヤング の曲から引用していた 93〜94年はニールヤングはかなりの頻度でオススメされた。「 声が優しいよなー 」って言ってた記憶がある。 上記の東京初ライブの一曲目はニールヤングの over and over だったし、ニールが使っていたエフェクターがfuzzだから、そのエフェクターを買っていたぐらいの傾倒ぶりだった。 キミがボクにくれたカセットテープのプレイリストのメモがある。 ニールヤングばかり。オススメにマークがついてる。なんて親切なんだ マークされていたものをピックアップしてみる。 the loner と like a hurricane は ライブバージョン だったはず。 I'm wonderin 'はいろいろなバージョンがあるみたい。。。 しかし、ボクのニールのお気に入りは これだ! ってオリジナルちゃうやん!

ソウルメイトとの音楽遍歴③

さて、この前、キミからもらった28年前のお手紙を発掘。 そこにはキミとボクは エリッククラプトン で盛り上がっていた模様が記されていたよ。 Unplugged という大ヒットアルバムが出る前の 24Nights というライブアルバムで高校卒業前の1991年に盛り上がったのを思い出した。 クラプトンのキャリアを遡ると60年代の ブラインドフェイス や クリーム 、 ヤードバーズ 、そしてそのルーツである黒人ブルースへ。 このあたりは上京後の私たちの音楽観に大きな影響を与えたよね。 まだヤードバーズの ボックスセット もってるよ。CD500枚処分したけど、これだけは捨てられない。 wonderful tonightは加古川ALLでの森君とのデュオにお任せするとして、キミと盛り上がった OLD LOVE という曲で盛り上がったのは7分過ぎのNathan East(bass)のウォーキンベースライン😘

ソウルメイトとの音楽遍歴②

①で挙がったバンドの影響もあって、高校3年生の時のバンド名はAB/CD。 1991年の5月はこのバンドで生まれて初めてライブハウスで演奏する。 セットリストは次の通り 愛のテーマ Keep your hands to yourself Tragedy Malibu Beach Nightmare Patience Used to love her Born to be wild Smoke on the water Up around the bend Under my wheels 基本的にはそれぞれのリンクのバージョンを模倣した。とくにBorn to be wildはメタルバージョンというかステッペンウルフではなかった。このベースラインを一生懸命耳コピした記憶がある。 リンクを貼っていて改めて驚く。全部YouTubeにあるとは。。。いい時代になった。 ハードロック以外ではT-Rexも聞いていて、コピーするためにスコアを買った覚えがある、お気に入りは Children Of The Revolution 結局やらなかったと思うけど。ちなみに こんなレアな映像 が見れるなんて。。。

ソウルメイトとの音楽遍歴①

時は1990年 キミと知り合った高校2年生のとき、世の中は ガンズアンドローゼズ や モトリークルー などのハードロックが洋楽の主流だった。 キミはどちらかと言うとそのスーパーバンドたちよりも、むしろ彼らが影響を受けた70年代から80年代のパンク、ハードロックに詳しかった。 教えてもらったバンドは AC/DC 、 アリスクーパー 、ハノイロックス、 ラモーンズ 、そして後々懇意になる グレンマトロック の セックスピストルズ などで、とくにハノイロックスがお気に入りだった。 邦楽ロックは 聖飢魔Ⅱ が好きだったのではないかな? ボクらの印象に残るハノイロックスは こちらのライブ 好きだった曲は Motorvatin’ だったな。

10年ぶり

 ボクの大事な人を想って再開します。 これはキミとキミの妹とご両親に捧げる。 キミをダシに使ってボクを確かめようと思う。