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ソウルメイトとの音楽遍歴⑨

引き続き94~95年ごろの話。 これまでピックアップした60年代ブリティッシュロックに始まり、ボクらが生まれる70年代前半のバンドサウンドも沢山教えてもらった。中でも デーブクラークファイブ は同名の曲を何曲かつくるほどキミは影響をうけていたね。代表的なのは Here comes summer 。 キミの曲のデモテープを久々に聴いたけどコーラスが沢山あって良かったなぁ。 あとは Come home 、キミの曲はComin' home❤️ ボクが好きだったのはDC5のオリジナルではないけど Everybody get together 。この曲は当時ヒットした 映画フォレスト・ガンプ では最初にヒットした ヤングブラッズバージョン が流れていた。当時好きだった女の子とのデートで見たのでよく覚えている。その子と成就することはなかったけど。 ほかには クリーデンスクリアウォーターリバイバル も聞いていた。 ハノイロックス の Up around the bendの原曲 はCCRだし、 Down on the corner はライブでもカバーしたことがあったね。 ボクのお気に入りは Have you ever seen the rain? これは今でも良くCMなどで使われるね。 ロッドスチュワートのバージョン も素敵だ。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑧

  少し時を進めて94〜95年、東京でバンド活動を始めた1994年、オアシスというバンドがイギリスで脚光を浴び、日本でも話題になり始めていた。「オエイシスは君が好きそうなバンドやで」といって紹介されたのが有名な whatever のシングルCDだった。でも2人で聴いたのはB面の half the world away 。この曲が好きになって1995年にボクが渡英したときに飛行機で聴いていた。円高ボンド安だった当時勢いでロンドンのHMVでビートルズ とともにオエイシスの Definitely Maybe 、 some might say のシングルを買った。オエイシスのCDは売却したけどビートルズは棺桶まで持っていく。 オエイシス自体はキミは好きではなかったけど、それは多分バンドとして好きではなかったのではないかな。 この曲 はバンド形式ではなくギターとベースの2本だけでライブをしたよね。 そしてオススメされたのもノエルのアコースティック系だった。 キミとのビートルズ談義の追憶はまたの機会にしよう。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑦

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  引き続き1994年にもらったプレイリストを参照してみる。 マークが入っている ロッドスチュアート や リッキーリージョーンズ はキミのお気に入りだったな。 ニールヤング は触れたので割愛するとして、ボクにインパクトを与えたのはホリーズの Look Through Any Window だ。グラハムナッシュの声を初めて聞いた。キミのおすすめではないけどホリーズの Listen To Me が好きだった。 グラハムナッシュといえばキミとクロスビースティルスアンドナッシュ(以下CS&N)のライブを見に行ったね。彼は裸足でステージに立っていた。周りにはアルフィーや南こうせつなどが居て、世代の違いを感じた思い出がある。CS&Nといえばニールヤングもいたときの Our House がNo1だけど、ボクのお気に入りは こちら だった

ソウルメイトとの音楽遍歴⑥

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未だ時代は1994年、お互い弱冠二十歳のころ。まだ選曲はバンドでの参考的な意味合いが強いものの、キミの個人的嗜好が垣間見れる。 最初に BLIND WILLIW Mc'TELL "Southern Can Is Mine" と Blind Boy Fuller"Truckin' My Blues Away" がセットされている。ポップなブルースでTrucin' My Blues awayは1995年にバンドとは別でボクと二人でアコースティックライブをしたときにソロで歌っていたね。 この辺のブルースをルーツにした楽曲もしていて自分のソロワークを自作していたね。もちろん一部ベースを頼まれたけど、そのテープの元となったMTRテープはあるけど、完成版が今のところ見つかっていない。。。 30年代のブルースと60年代~70年代前半に集中している。当時の流行りとは一線を画している。イーグルスとニールヤングが年代的には新しく Peter & Gordon 、 バーズ 、ヤングラスカルズを選んでいる。とくにバーズやラスカルズは二人で何度も聞いて曲作りの参考にしたりしていた。ラスカルズは僕は Good Lovin’ 推しでキミはこの Groovin ’が大好きだったね。 A place in the sun はやっぱり原曲の スティービーワンダーバージョン のほうがよく聞いていたよね。 この曲は二人とも大好きでキミはこれをモチーフにした「優雅な死に場所」という曲をつくり、ボクはワンダーの曲を妻との結婚式で使ったりしたことからも好きさ度合いがわかるね。 追伸:ワンダーつながりで My Cherie Amour はこゆきちゃんとゆかちゃんと1日だけ練習してライブした曲だけど、ジェームスジェマーソンのベースのようには弾けなかった(アタリマエか・・・)。

ソウルメイトとの音楽遍歴⑤

  キミに全く影響を受けずに(教えてもらうことなく)、好きになったバンドがある。 それは レッチリ 。 1994年の2月、3回目の大学受験の最中に車のディーラーに勤めていた従姉妹から勤め先で流しているBGMのCDを借りた。 そのなかに この曲 が入っていた。 1994年の11月にはボクのわがままをきいてもらってライブでキミに歌ってもらった。 今日そのカセットテープをみつけて、キミの適当英語に久々に笑った。

ソウルメイトとの音楽遍歴④

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時代の流れは前後するけど、1994年の7月に東京で初めてライブをした。 そのときに クラプトンのLet it Rain をカバーした。大サビのベースを弾くのが大変だった。。。めっちゃ左手を開いて吊りそうになってた。 1992年の浪人の時は森君が1番詳しいと思うけど、みんなで作ったアルバムのタイトルは Days that used to be でこれは ニールヤング の曲から引用していた 93〜94年はニールヤングはかなりの頻度でオススメされた。「 声が優しいよなー 」って言ってた記憶がある。 上記の東京初ライブの一曲目はニールヤングの over and over だったし、ニールが使っていたエフェクターがfuzzだから、そのエフェクターを買っていたぐらいの傾倒ぶりだった。 キミがボクにくれたカセットテープのプレイリストのメモがある。 ニールヤングばかり。オススメにマークがついてる。なんて親切なんだ マークされていたものをピックアップしてみる。 the loner と like a hurricane は ライブバージョン だったはず。 I'm wonderin 'はいろいろなバージョンがあるみたい。。。 しかし、ボクのニールのお気に入りは これだ! ってオリジナルちゃうやん!

ソウルメイトとの音楽遍歴③

さて、この前、キミからもらった28年前のお手紙を発掘。 そこにはキミとボクは エリッククラプトン で盛り上がっていた模様が記されていたよ。 Unplugged という大ヒットアルバムが出る前の 24Nights というライブアルバムで高校卒業前の1991年に盛り上がったのを思い出した。 クラプトンのキャリアを遡ると60年代の ブラインドフェイス や クリーム 、 ヤードバーズ 、そしてそのルーツである黒人ブルースへ。 このあたりは上京後の私たちの音楽観に大きな影響を与えたよね。 まだヤードバーズの ボックスセット もってるよ。CD500枚処分したけど、これだけは捨てられない。 wonderful tonightは加古川ALLでの森君とのデュオにお任せするとして、キミと盛り上がった OLD LOVE という曲で盛り上がったのは7分過ぎのNathan East(bass)のウォーキンベースライン😘

ソウルメイトとの音楽遍歴②

①で挙がったバンドの影響もあって、高校3年生の時のバンド名はAB/CD。 1991年の5月はこのバンドで生まれて初めてライブハウスで演奏する。 セットリストは次の通り 愛のテーマ Keep your hands to yourself Tragedy Malibu Beach Nightmare Patience Used to love her Born to be wild Smoke on the water Up around the bend Under my wheels 基本的にはそれぞれのリンクのバージョンを模倣した。とくにBorn to be wildはメタルバージョンというかステッペンウルフではなかった。このベースラインを一生懸命耳コピした記憶がある。 リンクを貼っていて改めて驚く。全部YouTubeにあるとは。。。いい時代になった。 ハードロック以外ではT-Rexも聞いていて、コピーするためにスコアを買った覚えがある、お気に入りは Children Of The Revolution 結局やらなかったと思うけど。ちなみに こんなレアな映像 が見れるなんて。。。

ソウルメイトとの音楽遍歴①

時は1990年 キミと知り合った高校2年生のとき、世の中は ガンズアンドローゼズ や モトリークルー などのハードロックが洋楽の主流だった。 キミはどちらかと言うとそのスーパーバンドたちよりも、むしろ彼らが影響を受けた70年代から80年代のパンク、ハードロックに詳しかった。 教えてもらったバンドは AC/DC 、 アリスクーパー 、ハノイロックス、 ラモーンズ 、そして後々懇意になる グレンマトロック の セックスピストルズ などで、とくにハノイロックスがお気に入りだった。 邦楽ロックは 聖飢魔Ⅱ が好きだったのではないかな? ボクらの印象に残るハノイロックスは こちらのライブ 好きだった曲は Motorvatin’ だったな。

10年ぶり

 ボクの大事な人を想って再開します。 これはキミとキミの妹とご両親に捧げる。 キミをダシに使ってボクを確かめようと思う。