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インフルエンザ2

私には幼稚園に通う娘がいるが、その幼稚園が今週いっぱい休園になった。 娘も先週末体調を崩したが、かかりつけ医からは経過を分析し、 「インフルエンザではない」との診断をいただいたようだ。 このかかりつけ医さんはなかなか素敵で、 流行中の新型インフルエンザのワクチンを10月下旬から接種可能にする、 という政府方針 についてハッキリとした見解を述べていらっしゃいます。 以下一部引用 新型インフルエンザワクチン接種はおすすめしません ワクチンの効果、副反応の可能性と新型インフルエンザの一般的重症度を勘案すると、新しいワクチンを、十分な臨床試験を行わないまま、現場の混乱も無視して、見切り発車的に多数の国民に接種すべき特別な状況とは言えないと思います。 ワクチンについては来年秋以降の接種に向けて、慎重に準備検討するべきでしょう。 以上のような理由で、私は今回の新型インフルエンザワクチンの接種をお勧めしません。 最終的な選択は子供たちの保護者の皆さんがなさることですので、希望者は上記の事情をよくお考え下さい。 引用おわり 普段の診療でもけっこうはっきりものをいうお医者さんなので、 主婦層からは「こわい先生」とされていていつも空いているそう・・・。 妻はそんなお医者さんとのやりとりをやや楽しんでいるようだった。 ちゃんとしている人はいるもんだな、と。

ぶれること

私の職場には、よくぶれる人がいる。 どうしてなのか? たぶん自己都合なのだろう。 起きていることを自分のいいように解釈しようとしたり、 自分のいいようなことを起こそうとしたりする。 きっと自分の与えられている業務を全うすることが目的なのだろう。 その先にあるのは自分の立場・職務が認知され、保全されるのだろう。 それは本来事業に寄与することなのだろうか、果たして疑問だ。 たとえその業務が事業の大きな流れとは関係なく、 便宜上発生してしまっていることだとしたら、その業務が発生してしまっている 根源的な原因を解決、もしくは変化させる必要があると思う。 事業の方向性の見解は正しいのに、アプローチが客観的に筋が通る形でなかったら、 周りからは信用が得られにくい。 既存のことを変革するには、そういった筋が通る形でなければなかなか変わらないと思う。 できればご本人に気づいていただきたい。

まだ・・・

まだ、分かりかねること。 「我思う、ゆえに我有り」といった言葉があるが、そうは言い切れないと思う。 穿った考え方では「思っている」と錯覚しているだけかもしれないといえる。 ひょっとしたら何かによって「思わされている」かもしれない。 五感がすべてというの考え方もあろう。 個人単独としては五感でいいのかもしれない。 ただし、どのように感じているかを他人と共有するのは完璧には無理だ。 人は1人では生きられない。 人と人との間にはある程度の共通感のようなものはあるが、 それはおそらくほとんど後天的、つまり何らかの知識・知恵による解釈が入っている。 そもそも、五感を言葉で言い表すことがほとんどだ。 このこと事態が、言葉の制約をうけている。 だとすると言葉が重要な役割をもっている。 これらに詳しい学問や文献にあまり触れていないため、 浅知恵ではあるが、この先もずっと考えていくことになろう。 まだまだ、学ばなければならないと秋の風に触れて思った。 語りえないことについてはやはり沈黙しなければならない。(って沈黙してないけど)