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やられた、期待以上だ!

昨日、待望のMacbookを購入した。 理屈ではわかっていたつもりだったけど、 旧マシンからの設定の時点で、作業しかしていないのに 使用感が感覚的に期待以上。 user experienceとはよくいったもので、そんな些細な事象に 対しての配慮がなされている。 簡単すぎて、ありがたみすらわからない。 なぜなら、設定済みの状態で妻が使用したところ、 何もかも前と同じ状況で使えるものだから、 当たり前のことができているので感動なし。 これからワクワクさせてやろう。 appleのofficialページを見て何ができるかの理解を 深めているが(仕事をしろ!)期待に胸がふくらみます。 買ってよかった(買えてよかった)。

異次元にいる人

強烈です。 ハルキさん。 http://twitter.com/kadokawaharuki twitterはやってみたけど、私の性分にはあわないなぁ。

供給側の問題

ある記事が「権威ある新聞」から発表された。 それに関連して「業界新聞」にさらに事細かな記事が載った。 内容は、 「こんなに情報を与えたの?しかも情緒的なコメントまであるよ。」 と関係者も眉をしかめるものであった。 発表されたあとで、情報の供給側(取材対象)が 「この内容には違和感があり、遺憾であり抗議する。」といっていたと聞いた。 正直なところ新聞社に抗議しても、あとの祭りで意味がない。 そもそもその新聞記者に頻繁に会い、記事を書いてもらい利用してやろうという魂胆が 情報の供給側にあった。 「権威ある新聞」だそうだが、取材対応を見る限り信用はおけない。 それがわかっていながら、都合が悪ければ抗議する。 信用がおけないものを利用しようとする側に問題がある。 それがわかっていないのだから、抗議するよりその役目を辞したらいいと思う。 新聞が全部悪いとは言わないが、書き手に全てが委ねられることは言わずもがなだ。

気になること

それが何であるか?もしくはそれが如何にあるか? といった在るを問うよりも、人が言葉で表現しうる限界が気になる。 ・・・といえば大げさになってしまうが、つまるところ 私個人の言葉で表現できる限界(=自分の理解できていることの全て)を すこしでも広げたい。 単なる知識欲ではなく、仕事にも遊びにも活かせて楽しさが広がる気がして・・・。

うれしいこと2

また野球ネタ。 ケン・グリフィーJr外野手がシアトルマリナーズと1年契約をしたそうだ。 今年は年齢による衰えか、怪我の影響か、自己ワーストの記録を残したので、引退もささやかれていたところにうれしい知らせである。 「キッド」の愛称で親しまれた彼も今月40歳になる。現役21年、来年は22年目だ。先日のうれしいことでも触れたが、1999年に選出された20世紀のオールスターで唯一の現役選手である。(その他、当時現役で選ばれたのはロジャー・クレメンス投手、マーク・マグワイヤ一塁手、カル・リプケンJr遊撃手) 彼はまさしくスーパースター。メジャーリーグの中で例えるとウィリー・メイズ2世だ。常に楽しく野球をしている姿や、チームメイトとのじゃれ合いなど見ていると、こちらまで楽しくなる。そしてダイナミックな走塁や華麗なファインプレーを魅せてくれる。 今でこそDHだが、1999年までは10年連続ゴールドグラブをとっていた守備の名手。イチローとは違って怪我することも厭わない体当たりのプレースタイルを持つ。それゆえ21年間ほとんど怪我との戦いをしている。 また、打撃では超長距離砲である。彼は10年前ハンク・アーロンを抜くといわれていた。私は王選手に届くのではないかと思ったほどだ。30歳10年目で400本塁打を放っていたので、もう10年で800本に到達するのは決して不可能ではなかった。 記録もそうだが彼のスイングを見てほしい。長距離砲とは思えないしなやかなスイングをする。センスの塊みたいな選手なのだ。 往年の名選手で引退前に一度数字を落とすものの、最後の2、3年で全盛期に近い数字を残す選手がいる。彼もそうあってほしい。あと3年はみたい。そして700本塁打を達成してほしい。

うれしいこと

野球ネタです。 今年のメジャーリーグは松井選手の活躍で終わり、うれしいシーズンだった。 松井選手が活躍したことよりもうれしかったのが、彼が打ち砕いた投手が復活したことだ。 彼の名はペドロ・マルチネス。 1996年〜2005年の10年間で最も活躍した右腕。 彼の実際の投球を96年の日米野球で見ているが、そのときは駆け出しの若手投手の印象であった。 彼よりも当時の野茂投手の同僚でドジャースのエースであった彼のお兄さん(ラモン)のほうが有名であった。 私の印象で強烈だったのが1999年のオールスターゲーム。 当時彼はボストンレッドソックスのエース。 会場はご当地フェンウェイパーク。 オープニングではオールセンチュリーチーム(20世紀のオールスターをファンと記者で選ぶイベント)のノミネートの発表があり、大選手が一同に会した記念的なオールスターであった。 彼は当然先発。 1回の三者三振を含む打者6人に対して5三振。 オールスターのMVPをもぎ取った。 当時は打高投低。 薬物疑惑はあるものの、年間50本塁打を放つ選手が10人ぐらいいた。(今年はゼロ) そんな10年間の中で悪くても防御率は2点台前半、対戦打者の打率は2割。イニングあたりに出塁数は1以下。つまり、出塁することすらままならなかった。 年間だけでこの数字を残せば投手部門の何かしらのタイトルは手にできる。 それを10年間つづけていたのだ。 ランディ・ジョンソン投手も素晴らしかったが、差があった。 彼には速球、変化球、制球力すべてがあった。 それが今年怪我を克服して、速球を失って復活した。 それでも顔で抑えるし、制球力で抑える。 来年も活躍してほしい。 豪腕ではなくなったけど。 昨年引退したマダックス投手のように怪我をせず20年間コンスタントに結果を出す大投手もいるけれど、怪我から立ち直って結果を出す大投手になってほしい。 なんといってもしなやかな投球フォームは忘れられない。 グリフィーJr選手の柔らかいスイングと同様に。

前向きに

もともとくよくよする傾向が強いので、 意識的に前向きに考えるが、疲れることも多々・・・。 最近はそれはそれで良いかと思う。 どちらも自分の為せる結果なので。 ただ、怠惰はやはりだめだ。 それも、多々・・・。

インフルエンザ2

私には幼稚園に通う娘がいるが、その幼稚園が今週いっぱい休園になった。 娘も先週末体調を崩したが、かかりつけ医からは経過を分析し、 「インフルエンザではない」との診断をいただいたようだ。 このかかりつけ医さんはなかなか素敵で、 流行中の新型インフルエンザのワクチンを10月下旬から接種可能にする、 という政府方針 についてハッキリとした見解を述べていらっしゃいます。 以下一部引用 新型インフルエンザワクチン接種はおすすめしません ワクチンの効果、副反応の可能性と新型インフルエンザの一般的重症度を勘案すると、新しいワクチンを、十分な臨床試験を行わないまま、現場の混乱も無視して、見切り発車的に多数の国民に接種すべき特別な状況とは言えないと思います。 ワクチンについては来年秋以降の接種に向けて、慎重に準備検討するべきでしょう。 以上のような理由で、私は今回の新型インフルエンザワクチンの接種をお勧めしません。 最終的な選択は子供たちの保護者の皆さんがなさることですので、希望者は上記の事情をよくお考え下さい。 引用おわり 普段の診療でもけっこうはっきりものをいうお医者さんなので、 主婦層からは「こわい先生」とされていていつも空いているそう・・・。 妻はそんなお医者さんとのやりとりをやや楽しんでいるようだった。 ちゃんとしている人はいるもんだな、と。

ぶれること

私の職場には、よくぶれる人がいる。 どうしてなのか? たぶん自己都合なのだろう。 起きていることを自分のいいように解釈しようとしたり、 自分のいいようなことを起こそうとしたりする。 きっと自分の与えられている業務を全うすることが目的なのだろう。 その先にあるのは自分の立場・職務が認知され、保全されるのだろう。 それは本来事業に寄与することなのだろうか、果たして疑問だ。 たとえその業務が事業の大きな流れとは関係なく、 便宜上発生してしまっていることだとしたら、その業務が発生してしまっている 根源的な原因を解決、もしくは変化させる必要があると思う。 事業の方向性の見解は正しいのに、アプローチが客観的に筋が通る形でなかったら、 周りからは信用が得られにくい。 既存のことを変革するには、そういった筋が通る形でなければなかなか変わらないと思う。 できればご本人に気づいていただきたい。

まだ・・・

まだ、分かりかねること。 「我思う、ゆえに我有り」といった言葉があるが、そうは言い切れないと思う。 穿った考え方では「思っている」と錯覚しているだけかもしれないといえる。 ひょっとしたら何かによって「思わされている」かもしれない。 五感がすべてというの考え方もあろう。 個人単独としては五感でいいのかもしれない。 ただし、どのように感じているかを他人と共有するのは完璧には無理だ。 人は1人では生きられない。 人と人との間にはある程度の共通感のようなものはあるが、 それはおそらくほとんど後天的、つまり何らかの知識・知恵による解釈が入っている。 そもそも、五感を言葉で言い表すことがほとんどだ。 このこと事態が、言葉の制約をうけている。 だとすると言葉が重要な役割をもっている。 これらに詳しい学問や文献にあまり触れていないため、 浅知恵ではあるが、この先もずっと考えていくことになろう。 まだまだ、学ばなければならないと秋の風に触れて思った。 語りえないことについてはやはり沈黙しなければならない。(って沈黙してないけど)

やっぱり

内輪ネタ 調子良く読んでみよう!! やっぱり咳するあの人は やっぱり手のひら返したよ。 昨日は俺が起ってやる! 汚れ役は俺がいい! ところが、役員その役を 今日は私に任すといってきた。 やっぱりそれでよかったと 手のひら返していってきた。 やっぱり彼は傍観者? それともはたまた評論家? ともあれ今はおだやかなので、 しばらくこのままいってみよう。

つながり

なんとなく感じること。 確かなものではない。 たがいちがいになることもある。 何かの共通項があってつながる。 人間の歴史を尊くいうのであれば、 唯物的な考えかたはあわないような。 あ、別に特定の誰かさんのことを言っている訳ではありませんよ。 博愛、友愛でもなく なんとなくあるもの。 なんとなく生きている訳ではないが、 なんとないつながりに救われたりする。 平和ボケかも・・・

悩ましいこと

私は野球が好きだ。 特にプロの世界の記録を見るのは好きだ(MLBは特に)。 アメリカのスポーツの典型なのかもしれないが、数値で力量を推し量れるようになっている。 だから面白い。 最近はイチロー選手や、ジーター選手など記録更新が話題だ。 イチロー選手の凄さは言わずもがなだが、 彼の言語化する力、自己管理というか、現状認識能力が好きである。彼は自分の感覚を言語化できる。 私が楽しみなのは彼が指導者としてどうなるかである。 イチロー選手と伍するのは落合監督、野村監督であろう。 彼らはすべて頭で理解している(それ以前の肉体の鍛錬もさることながら)。 では、現役選手でイチローとジーターの両選手のどちらがすぐれているのだろうか? ジーター選手は長年にわたって安定した成績を残しながら、毎年優勝争いをしているチームにいる。ただし、個人タイトルをとったことがない。常に上位にいるのだけれども縁がない。 シーズン平均 イチロー選手:打率333、安打数224、本塁打9 、打点57、得点107、盗塁38、OPS812 ジーター選手:打率317、安打数194、本塁打15、打点75、得点111、盗塁21、OPS846  ※opsとは出塁率+長打率で打力指標の一つ 能力的には安打能力=イチロー選手、長打能力=ジーター選手がそれぞれ違うが、一番打者としては似通っている。 タイトルホルダーという観点では個人で評価されたければイチロー選手だが、勝てるチームにするならジーター選手。 現役選手でいるうちはどちらがいいのだろうか? 私はジーター選手になりたいと思う。 勝てるチームで安定したパフォーマンスを出す。 今週もがんばろう。

幾つになっても・・・

私には幼い子供がいるけれども、感情むき出しだったり、大人の目を盗んだり、いろいろなことをやる。 最近、いい大人(私よりもひとまわり以上先輩)が子供のけんかのような態度をとっていたりするのを見ると年齢はあまり関係ないのかなぁ・・・って気がする。 追いつめられたり、うまく物事が進まないと本性が出ると言えばそれまでだが、我が振りは直しておこうと思う(私はかなり幼稚なので、もともと感情的です)。

面白くなった

ここ半年進めてきた企画案について経営層からお墨付きをいただいた。 まだ、一次突破にすぎないが前に進んだのは間違いない。 ひとえに協力して下さった皆様のおかげです。 この場を借りて御礼申し上げます。 とはいえ、やっと始められるわけなのでこれからが本番。 これまで協力的だった方々も各論になれば、理解してもらうのに時間がかかると思う。 いずれにしても、今よりも必ず良くなるわけだから、そのイメージを如何に伝えられるか。 良くなるイメージも面白いけど、自分の能力の腕試しになるのも面白い。 うまくいった暁には・・・家を買うために昇給を申請する(上司は了承済み)って、金かよ。

転機

友人が転職の決意を固めた。 いろいろな理由があるのだろう。 人望もあるし、思慮深いし、私の知らない泥臭い世界も知っている。 彼は人生の転機として、そういう選択をしたのだろう。 その決断に期待をこめて声援を送ろう。 転機を自分に当てはめるとまだ、大きな転機をつくってはいない。 つくる必要はあるだろう。 なぜなら、家が欲しいから(金かよ!しつこいっちゅーの)

一致

ある目的に向かってここ数ヶ月奔走(自分で言うのはおこがましいが・・・)してきたが、いよいよ手段を決める時が来たようだ。 いままで、多数決では勝るもののパワーを持つ上層部への懐柔は五分五分であった。 その手段と目的に対して、対抗策があってそちらを支持していた中立の人もこちらになびいてきた。思惑は異なるが、手段が一致した。 この期を逃さず、勝負をかけよう。 もともと負けるはずのない話なのだが、 今週は面白いことになりそうだ。

みつをさん

会社の人にタダ券をいただいたので、仕事をサボって30分ほど東京フォーラムにある美術館を初めて覗いた。 日頃、諸先輩から教わっているような日常の心遣いについて言及しているのが多かった。 みんなの心のどこかにあるものを独特な書体で見せてくれていた。事実はそれだけ。 自己啓発? 自戒? 仏教? ・・・要は個人の受けとめ方の問題だ。 私は嫌いではない。言葉が好きだから。 日常のことだから、受け入れられているのかな。 いや、パトロンがいたから世に広まったというのが現実かな。 しかし、書家は楷書で書いたものはきれいでかっこよかったな。

インフルエンザ

「新型で死亡」ってうるさいよ。 要はきっつい風邪だろ? そりゃ気の毒な人もいるだろうさ。 不安を煽るだけの報道は裏があるだけだ。 どんな病気も手洗いうがい、 そして「氣」ではないだろうか。

自己実現

ピンとこないこの言葉。 自分さえ良ければ良いように思えてしまう。 「自己実現のために会社でがんばります」 「会社の業務を通して自己実現したい」 なんてよく目にするけど、その先に何があるの? 「業績を作り、評価をもらい、報酬を得たい、そのために知己を磨く」 と言うのであれば何となく分かる。 私は単純に事業が顧客に受け入れられ、好展開するのを見てみたい。 そして、報酬を仲間とともに得られたら良いと思っている。 ・・・自宅がほしいだけだ。今のままでは買えん!

楽観

言ってることは正論でも、人が為すこと。 人を動かさなければ、ただの批評、批判だ。 自分の話を聞いて動いてくれないのは、相手のせいじゃない。 自分のせいなのだ。 きめつけや人に対するレッテル。 それってただの思い込みにすぎないと思う。 楽観すぎるかも。

出会い

初めて会う人だが、仲間。 思った以上に親近感あり。 捨てたもんじゃないなと。

さみしいこと

他人のせいにしないと公言していた人が、金銭がらみで揉めはじめて、手のひら返し。 私も気がつけば他人のせいにしてしまいがちだが(だから公言しない)、追い込まれると人はかわるものなのだと・・・器だな。 気をつけるしか方法はない。

目的が違う

私のチームが中心となって立てた提案要求は、提案してもらう内容が相対的に精度が高く実現性が高いことが最重要だ、という考えの軸を持っている。 その考えを基軸に主体的に係る方々と、我々の独善的でひとりよがりにならないことを念頭に置き、根本的な目的論をまとめあげた。 ただし、多数の意見を伺いまとめたから、私たちの内容が民主主義的に正しいといっているのではない。できる限り重複などの無駄を省き、意見の統合も行っているし、間違いや誤解を解いてきたので共通認識としては可としてもよいと思われる程度のものだ。 これをふまえて、責任部署の主事にあたる方と、ファシリテーターの三者で会社代表としての提案要求を作成することになったのだが、私の力不足もあり、個人の視点で述べられたインデックスの羅列が提案書として掲げられた。 そもそも最初から責任部署の主事と提案作成を共有すれば良いのであったが、議論を重ねる上では立場や経験で勝るその方の前では議論をすすめにくいと判断して彼をはずしていた。 とはいえ、同じベクトルでの着地点を目指していると確認できたので、意見の相違をすりあわせながら約2ヶ月の間調整をしたのであるが、組織上の立場から主導権を先方に任せざるを得なかった。 そして、出てきたものは2ヶ月前のインデックスに詳細項目についてだけ私たちとの妥協点が追加されていた。インデックス案なので根本的な目的は一切触れていない。 それでも、相手に気遣いをしながら本質論を展開すべきか考えたが、「目には目を」、と考えて政治的な動きでパワーを行使することにした。すりあわせの際に手を取り合って、会社のために頑張ろうと確認していたはずなのに、約束を守らなかった。 仕事とは約束を守ること。約束を守らない相手はまともにつきあっても時間の無駄と判断した。 あれだけ議論をしたにもかかわらず、根本的な目的を提示できない理由がわからず、どうしてか考えたが、彼ら(迎合したファシリテータも含め)は自己顕示欲を満たすこと、自身の理想郷をつくること、上司に認められこと、が目的なのだ。 少なくとも私たちはそんなことは考えていない。ゆえに私たちの案は個人のためにあるわけではないので、目的が違うのだ。わかっていたけどやっぱりそうであった。

つきつめること

その行為は楽しい。 その過程は課題が多い。 本質的なところに近づき、 言語を介して共通認識とし、 目的論にたどり着く。 目的のための行程を描き、 それに沿うように日々精進。 あ〜体をしぼって「かっこいい」って言われたい。 ってただの色欲。

共通認識

人がどのように感じているか、見えているか、ひいては理解しているか、 を突き詰めると誰もおのれとおのれ以外とで同じ答えは出せない。 ただし、近しい、似たようなところで可としている。 赤い色が赤として見え方が完全一致していることは立証不可能である。 他人の脳を通して覗くことなので。 それは五感すべてに言える。 共通認識とは100%ではなく、限りなく100%に「近い」ことをいうのであろう。 ・・・そんなこと悟ったように言うんじゃねぇ、当たり前だ・・・と言われても、 私の「認識」「実感」がそのようにようやく感じられたというだけの話である。 それを他人とは意思疎通ができないと捉えるか、 おおよそ近しい話ができれば良いと捉えるか、 それによって人付き合いはかわるなぁ、 というところから考えた。

はじめに

語りえぬものについては、沈黙せねばならない。