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9月, 2009の投稿を表示しています

やっぱり

内輪ネタ 調子良く読んでみよう!! やっぱり咳するあの人は やっぱり手のひら返したよ。 昨日は俺が起ってやる! 汚れ役は俺がいい! ところが、役員その役を 今日は私に任すといってきた。 やっぱりそれでよかったと 手のひら返していってきた。 やっぱり彼は傍観者? それともはたまた評論家? ともあれ今はおだやかなので、 しばらくこのままいってみよう。

つながり

なんとなく感じること。 確かなものではない。 たがいちがいになることもある。 何かの共通項があってつながる。 人間の歴史を尊くいうのであれば、 唯物的な考えかたはあわないような。 あ、別に特定の誰かさんのことを言っている訳ではありませんよ。 博愛、友愛でもなく なんとなくあるもの。 なんとなく生きている訳ではないが、 なんとないつながりに救われたりする。 平和ボケかも・・・

悩ましいこと

私は野球が好きだ。 特にプロの世界の記録を見るのは好きだ(MLBは特に)。 アメリカのスポーツの典型なのかもしれないが、数値で力量を推し量れるようになっている。 だから面白い。 最近はイチロー選手や、ジーター選手など記録更新が話題だ。 イチロー選手の凄さは言わずもがなだが、 彼の言語化する力、自己管理というか、現状認識能力が好きである。彼は自分の感覚を言語化できる。 私が楽しみなのは彼が指導者としてどうなるかである。 イチロー選手と伍するのは落合監督、野村監督であろう。 彼らはすべて頭で理解している(それ以前の肉体の鍛錬もさることながら)。 では、現役選手でイチローとジーターの両選手のどちらがすぐれているのだろうか? ジーター選手は長年にわたって安定した成績を残しながら、毎年優勝争いをしているチームにいる。ただし、個人タイトルをとったことがない。常に上位にいるのだけれども縁がない。 シーズン平均 イチロー選手:打率333、安打数224、本塁打9 、打点57、得点107、盗塁38、OPS812 ジーター選手:打率317、安打数194、本塁打15、打点75、得点111、盗塁21、OPS846  ※opsとは出塁率+長打率で打力指標の一つ 能力的には安打能力=イチロー選手、長打能力=ジーター選手がそれぞれ違うが、一番打者としては似通っている。 タイトルホルダーという観点では個人で評価されたければイチロー選手だが、勝てるチームにするならジーター選手。 現役選手でいるうちはどちらがいいのだろうか? 私はジーター選手になりたいと思う。 勝てるチームで安定したパフォーマンスを出す。 今週もがんばろう。

幾つになっても・・・

私には幼い子供がいるけれども、感情むき出しだったり、大人の目を盗んだり、いろいろなことをやる。 最近、いい大人(私よりもひとまわり以上先輩)が子供のけんかのような態度をとっていたりするのを見ると年齢はあまり関係ないのかなぁ・・・って気がする。 追いつめられたり、うまく物事が進まないと本性が出ると言えばそれまでだが、我が振りは直しておこうと思う(私はかなり幼稚なので、もともと感情的です)。

面白くなった

ここ半年進めてきた企画案について経営層からお墨付きをいただいた。 まだ、一次突破にすぎないが前に進んだのは間違いない。 ひとえに協力して下さった皆様のおかげです。 この場を借りて御礼申し上げます。 とはいえ、やっと始められるわけなのでこれからが本番。 これまで協力的だった方々も各論になれば、理解してもらうのに時間がかかると思う。 いずれにしても、今よりも必ず良くなるわけだから、そのイメージを如何に伝えられるか。 良くなるイメージも面白いけど、自分の能力の腕試しになるのも面白い。 うまくいった暁には・・・家を買うために昇給を申請する(上司は了承済み)って、金かよ。

転機

友人が転職の決意を固めた。 いろいろな理由があるのだろう。 人望もあるし、思慮深いし、私の知らない泥臭い世界も知っている。 彼は人生の転機として、そういう選択をしたのだろう。 その決断に期待をこめて声援を送ろう。 転機を自分に当てはめるとまだ、大きな転機をつくってはいない。 つくる必要はあるだろう。 なぜなら、家が欲しいから(金かよ!しつこいっちゅーの)

一致

ある目的に向かってここ数ヶ月奔走(自分で言うのはおこがましいが・・・)してきたが、いよいよ手段を決める時が来たようだ。 いままで、多数決では勝るもののパワーを持つ上層部への懐柔は五分五分であった。 その手段と目的に対して、対抗策があってそちらを支持していた中立の人もこちらになびいてきた。思惑は異なるが、手段が一致した。 この期を逃さず、勝負をかけよう。 もともと負けるはずのない話なのだが、 今週は面白いことになりそうだ。

みつをさん

会社の人にタダ券をいただいたので、仕事をサボって30分ほど東京フォーラムにある美術館を初めて覗いた。 日頃、諸先輩から教わっているような日常の心遣いについて言及しているのが多かった。 みんなの心のどこかにあるものを独特な書体で見せてくれていた。事実はそれだけ。 自己啓発? 自戒? 仏教? ・・・要は個人の受けとめ方の問題だ。 私は嫌いではない。言葉が好きだから。 日常のことだから、受け入れられているのかな。 いや、パトロンがいたから世に広まったというのが現実かな。 しかし、書家は楷書で書いたものはきれいでかっこよかったな。

インフルエンザ

「新型で死亡」ってうるさいよ。 要はきっつい風邪だろ? そりゃ気の毒な人もいるだろうさ。 不安を煽るだけの報道は裏があるだけだ。 どんな病気も手洗いうがい、 そして「氣」ではないだろうか。