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自宅でコイてください

ポジティブな考え方や態度を己のためにとるのはいいけど、それを他人に強いられるのは迷惑だ(先生や諸先輩に教わるのはいいが、おせっかいはいらない)し、そこから思考停止のまま派生した業務なんぞは寒いどころか「百害あって一理なし」だ。 というのは、「私は○○的な考え方でこうした、ああした、だから気分よくすごせた(=成功したと思い込んでいる場合が多いがそれはあくまで主観的な感覚で、客観的には成功していない)。みんなにもこのアプローチはきっといいはずだ!」と、それを喧伝し「モチベーションをあげよう!」と気勢をあげるなど、ありがた迷惑な所作を何度か目の当たりにし、閉口することがあったからだ。 ここ2年位、巷の雰囲気が「不景気・凶悪犯罪」など暗いからだろうか、ポジティブシンキングの類の言葉をやたら耳にしたり、目の当たりにしたりする。 気分が落ち込んでいたり、厭な気分だったりする時に個人的にそういった類の考え方を取り入れて、気持ちを切り替えるのは全く良いのだ。それを人に勧めたくなるのはよくわかる。それはまだいい。 困るのはポジティブオーラから出た、「私っていいことしてるぅ〜」という独りよがりだ。そういう人はポジティブより思いやりや傍目八目な視点を意識してもらいたいものだ。 オナニーみたいな独りよがりは自宅でお願いします。

惜しい

野球ネタです。 野茂投手のおかげで今ではすっかり日本でもPOPになったBig league(メジャーリーグとも言う)。名投手が現役引退した。 名はRandy Johnson。 私がメリケンの野球に興味をもって17年。その間常に活躍していた投手である。そして敬意に値するのは古の物語の老黄忠を彷彿とさせた晩年の活躍である。 これまでの常識は現役の上限は42歳程度。彼は今年46歳であるが、通常衰えが顕著になる40歳時点での生涯実績は220勝。そこから5年で約80勝を積み上げた。 最後まで剛球であった。 彼のスタイルは160キロの速球と140キロのスライダーをサイドハンドから放つ。 しかも伸長208㎝。 かつて日米野球で対戦した私が野球教室で教わった池山選手をして「サイドハンドなのに、3階からボールを投げてきた」と言わしめた個性的な投手であった。 惜しいのは生涯実績のうち奪三振数5000を目の前にしていたことだ。今年先発投手としてローテーションを守れれば達成可能であった。記録好きな私としては本当に惜しい。 ここ40年ではおそらく最強の左腕であろう。(最強左腕は1960年代に活躍したSandy Koufax投手において他になし) お疲れさまでした。

あけましておめでとうございます。

皆様、本年もよろしくお願いいたします。 一年の計は元旦にあり。 元旦には何も今年のことは考えていませんでした。 今日から仕事始め、今日考えよっと。

やられた、期待以上だ!

昨日、待望のMacbookを購入した。 理屈ではわかっていたつもりだったけど、 旧マシンからの設定の時点で、作業しかしていないのに 使用感が感覚的に期待以上。 user experienceとはよくいったもので、そんな些細な事象に 対しての配慮がなされている。 簡単すぎて、ありがたみすらわからない。 なぜなら、設定済みの状態で妻が使用したところ、 何もかも前と同じ状況で使えるものだから、 当たり前のことができているので感動なし。 これからワクワクさせてやろう。 appleのofficialページを見て何ができるかの理解を 深めているが(仕事をしろ!)期待に胸がふくらみます。 買ってよかった(買えてよかった)。

異次元にいる人

強烈です。 ハルキさん。 http://twitter.com/kadokawaharuki twitterはやってみたけど、私の性分にはあわないなぁ。

供給側の問題

ある記事が「権威ある新聞」から発表された。 それに関連して「業界新聞」にさらに事細かな記事が載った。 内容は、 「こんなに情報を与えたの?しかも情緒的なコメントまであるよ。」 と関係者も眉をしかめるものであった。 発表されたあとで、情報の供給側(取材対象)が 「この内容には違和感があり、遺憾であり抗議する。」といっていたと聞いた。 正直なところ新聞社に抗議しても、あとの祭りで意味がない。 そもそもその新聞記者に頻繁に会い、記事を書いてもらい利用してやろうという魂胆が 情報の供給側にあった。 「権威ある新聞」だそうだが、取材対応を見る限り信用はおけない。 それがわかっていながら、都合が悪ければ抗議する。 信用がおけないものを利用しようとする側に問題がある。 それがわかっていないのだから、抗議するよりその役目を辞したらいいと思う。 新聞が全部悪いとは言わないが、書き手に全てが委ねられることは言わずもがなだ。

気になること

それが何であるか?もしくはそれが如何にあるか? といった在るを問うよりも、人が言葉で表現しうる限界が気になる。 ・・・といえば大げさになってしまうが、つまるところ 私個人の言葉で表現できる限界(=自分の理解できていることの全て)を すこしでも広げたい。 単なる知識欲ではなく、仕事にも遊びにも活かせて楽しさが広がる気がして・・・。