キミが居なくなって1年が経ってしまった。このシリーズもエピローグにむけてまとめよう。 キミが渡英してボクは音楽への探求を結果的に止めてしまっている。音楽を一緒にやらなくなり、物理的距離が出来、キミから「これがええで!」ということが無くなったのと、ボクもベースラインを追い求めなくなったからだ。それからは数年に一度再会することになって、それまで色んな音楽を教えてくれていたのと変わって、イギリスでの自分の作品の感想を求められるようになった。その時からは先生と生徒というより、ミュージシャンとそのファンという関係に変化したと思う。だから21世紀以降にキミが何を良くきいていたか、趣向は何だったのかあまり分からない。 とはいえ、振り返るとバンドと個人の2つの音楽が並行していくスタイルは変わらなかったのではないかと思う。そしてそれは渡英後も続いた。キミが結成したAPESはメンバーがパンクやりたいっていったからパンクの曲を書いてロンドンでのキャリアをスタートしたと話してもらった記憶がある。あれほどブラックミュージックに傾倒していたのに、何で?何があったの?と聞きたくなるぐらいの方向転換。多分それでしか音楽を続けられなかったのかもしれない。さまざまな出逢いの中でそれがエアロプレインというバンドに変遷し、プロデビューする。ある意味ボクと知り合った当初のキミはパンクだったから原点回帰だったのかもしれないね。その一方で、聞かせてくれた未発表曲のなかには弾き語りに近い構成のものがあったりしたので、バンドとは別の自分の曲を模索していたのではないかな? その後、スペインとコロンビアというラテンの国に行ってからは演奏を通じて現地のミュージシャンとの交流を深める。ジャンルは様々、要求されたものの演奏をしていたようだ。そして腕の良いミュージシャンたちと知り合い、バンドと個人の融合しMuerte En Pereiraを完成させたのではないだろうか。ポップとロックと、ジャズと。ギターとサックスとドラムという変わったバンド編成もユニークだ。 スペインやコロンビアの経験と帰国後の神戸の音楽シーンで感じる音楽観の違いなどがキミの活力の源になっていったのだと思う。これはYouTubeやラジオで語っていたり、酒を酌み交わす中でキミが夢を語りつつ、悩みを吐露していたことからの私の解釈。 キミが居なくなってから、...
あけましておめでとうございます。昨年は、いろいろと相談にのって頂きまして、ありがとうございました。今年は上旬までが今後の人生において、重要になっています。仕事の方は順調ですが、現在の現場研修は、かなりの体力勝負になっております。鋼のような肉体を取得中です(笑)。さすがに、社長一人が圧倒的なパワーで創ってきた会社ですので、まだまだ「商店」の域を出ておらず、三城で培ったスキルはかなり有効に使えそうですが、まずは発言出来る立場を獲得し、腹を括った発言をして行こうと思っています。
返信削除来月は「簿記」4月は「経営者検定試験」とプライベートも、前向きに頑張ります。
今は難しいけど、たまには会って下さい。
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
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